パチンコをやめてから52日目に到達しました。
もうここまでくるとパチンコをしたいと考えることもほとんど無くなってきました。
その代わり、最近の私はしばしば涙を流しながら、パチンコに熱中して時間を無駄にしてきた自分への後悔の念に苛まれています。
それと共に、心から「パチンコをやめる」と決意した自分を誇りに思っています。無気力な状態から回復していく実感と、地の底ほどの位置にあった自己肯定感が戻ってきた感覚です。
たかがパチンコのことでと考える方も多いと思いますが、されどパチンコです。
パチンコが人生に与える影響はとても大きく、私のように人生崩壊まで突き進んでしまうケースも珍しくありません。
20代の内に気付くことができれば最高ですが、実際には30歳や40歳になってもパチンコのことしか話すことがない、危機感のない人間がまだまだ存在します。
今日はなぜ重度のパチンカスだった私がパチンコをやめなければいけないと悟ったのか、またそこに至るまでの過程をブログにしていきたいと思います。
パチンコとの出会い。世の中にこんなに楽しいものがあるのかと感じた
始めてパチンコ屋に入ったのは18歳の時でした。もう10年以上前のことです。
当時はフリーターとして生活していましたので、アルバイトで稼いだ少ない給料を持ってパチンコ屋に入ったことが、私の初めてのギャンブル体験でした。
パチンコを始めたばかりの頃は、
- 大当たりを引いただけで心臓がドキドキ
- 少し連荘が続くだけで「おいおいこんなに当たっていいのか?本当に大丈夫か?」と不安に
- 10万円も勝った!働くのバカらしい。パチプロになろうかな?
と感じたことのない高揚感に包まれ、普段の生活では味わえなかった非日常感を「気持ちいい」と感じて、興奮が抑えきれなかったことを覚えています。
パチンコにハマる人とハマらない人の一番の違いはなんでしょうか。
私にはいまだにその根本的な理由がわかっていません。
反対にパチンコの魅力を伝えようとパチンコに連れて行った結果、ハマらなかった友人や彼女の意見はこうでした。
- 何が面白いのかがわからない
- お金がもったいない
- パチンコは時間の無駄。ほかにやりたいことがある
今ならとても理解できる言葉ですが、当時の私としては、

と本気で考えていました。
そして、先を見ていたパチンコをしない友人は、
と言ってくれていたのを思い出します。
ですが当時の私には無駄な言葉でした。

ここで友人の言葉を受け入れていれば、今の人生は少し変わったものになっていたかもしれません。
楽しかったパチンコライフ。自分は適度に楽しみながら一生パチンコを打ち続けると考えていた
20台の中盤くらいまでは心からパチンコを楽しんでいた時期だったと思います。
台のスペックがどうとかのお話ではありません。
人生の中でパチンコしかないという状況ではなかったからです。
フリーターでしたが、まだ若いと思っていたので何の危機感も持っていませんでしたし、つまらない日常の中でちょっとしたアクセントになっていたんです。それくらいの距離感でパチンコと付き合えていました。
ですから、
- 「パチンコは時間を無駄にしている」
- 「パチンコをやめよう」
なんて考えたこともなく、

とぼんやりと考えていました。
ただ、なんとなく正社員として働かなければいけないんだろうなと考えるようになり、就活を始めました。給料が増えればパチンコ屋にもっと行けるし頑張ろうというのが一番のモチベーションでした。
就職するも学生気分が抜けずパチンコのことばかり考える日々
若かったこともあり、運よく就職が決まりフリーター生活を終了し、正社員として働き始めることができました。
この頃は仕事に対して、
- 「面白くないもの」
- 「お金をもらえるからやっている」
としか考えておらず、自由だったフリーター時代から、給料は増えたもののパチンコしていた方がずっと楽しいし、フリーターの時は平日の朝からもパチンコに行けたのに、土日だけじゃ勝てないよ。
と日々悶々としながら、サラリーマンとして働き始めました。

仕事に熱中し、初めて社会で己の存在価値を感じられるようになる
人間というのは不思議なもので、どんなにどうしようもない奴でも「役割を与えられ」、「対外的な評価」を受けることで承認欲求が高まり、マインドが変わってきます。
その会社でもある程度の年数が経つと、責任が増え任せてもらえる仕事の質も高まってきました。
自分が会社の一員として役に立ち、貢献しているという事実がとても誇らしく、初めて「仕事が楽しい!」「俺がこの会社を引っ張っていくんだ」と社会での自分の存在価値を感じられるようになりました。

ただ、この時も仕事以外の楽しみとしては休日のパチンコでした。
仕事に熱を上げている時期ということもあり、平日は仕事のことばかり考えていましたが、週末になると友人たちと集まり、1日パチンコを打ってその日の稼働の話と会社の愚痴を言いながら酒を飲む。
こんな生活でしたが、個人的にはとても充実していました。
仕事はうまく行っていましたし、パチンコを息抜きの一環として上手に生活に組み込めていた時期だったからです。
そして、一時的にパチンコにハマってしまったとしても、ほとんどの人はそのまま年齢を重ねることでたくさんのことを経験し、パチンコから離れていくことができるのでしょう。
私の場合、ある出来事がその予定を狂わせました。
仕事のストレスから体調を崩し、これまでのように仕事ができなくなる
仕事のストレスからしばらく体調を崩し、これまでと同じように仕事ができなくなった時期がありました。
ある程度の誇りを持って仕事をしていましたし、それなりに会社や顧客からの信用もあったと自負していました。
それを全て失いました。
この時期の私は本当に焦っていて、体の調子が悪いのに同じキャパの仕事をしようと無理をして、逆に会社に迷惑を掛けてしまうような状況でした。
これは本当に耐えがたいものがあり、これをきっかけに自律神経を崩していくことになります。
そして、これまで通り働けなくなったことで収入が低下します。
仕事では無理だけど、「副収入を得たい」そんな気持ちで安易に「FX」に手を出し、パチンコについてもこの時期から病的な頻度で足を運ぶようになりました。
パチンコとFXの二刀流で手が付けられない状態になり、初めての借金を経験する
パチンコで作られたマインドはギャンブル依存症になるための十分な材料となりました。
収入を増やすために労働時間を増やしたり、スキルを身に着けるということではなく、「ギャンブル」でお金を稼ぎたいという浅はかな考えに行きつくこととなります。
FXをやったことがある方はよくお分かりだと思いますが、素人が半端な知識で勝ち続けることができるほど甘い世界ではありません。
さらにメンタルを崩している私が、含み損や急激な相場変動に対するプレッシャーに耐えられるはずもなく、すぐにハイレバレッジの破滅的なトレードが手法の中心となりました。
そして、およそ一回のパチンコでは負けられない金額、一晩で数百万の損失をを出したりと、段々と自分の中で何かが壊れていくような感覚がありました。
そして、200万円の含み損を抱えたまま、土日はパチンコを打つという狂った生活が当たり前になりました。
振り返るとこの時期が私にとって一番辛い時期でした。
あんなに楽しかったパチンコもつまらなくなり、数万円の勝ちではなんの感情も動かなくなっていきました。
そして、生まれて初めての借金をしました。
楽天カードのキャッシング枠だったと思いますが、流石に最初の借金は罪悪感とこのまま人生破滅になるんじゃないかと、かなりの葛藤の末、借り入れをしたことを覚えています。
借金を返しては借りを繰り返す無限ループに突入する
一度借金をするともう歯止めが効きません。
よく、雪だるま式に借金が増えるなんていう表現をしますが、まさにその通りで、気付いたら借金総額は500万円を超えていました。
「FXの追加証拠金」や「パチンコの軍資金」、「足りなくなった生活費」すべてをキャッシングやカードローンで賄うようになりました。
これ以上借りたら、もう自己破産か債務整理するしかない。
ギャンブルでの自己破産は認められづらいというのを何かで聞いていたことや自己破産に対するネガティブなイメージがあり、絶対に自己破産だけはしたくない。どうしたらいいんだと、借金相談の窓口に電話で相談したこともありました。
ただ、そこで言われたのは借り入れからの期間が短すぎるので債務整理をしても返済額はほとんど変わりません。というような冷たい対応でした。
もう、自己破産しかないのか。
苦しい。もう人生を終わりにしたい。この時期からはよくこんなことを考えるようになりました。
どうしても自己破産は嫌だ!ぎりぎりのところで思いとどまる。
これ以上借りたら、自分のお給料では返済できない。
このラインに到達して初めて、借金することを躊躇しました。
ここを超えるともう戻ってこれないような気がしたんです。
そして、パチンコやFXのために借金をすることをやめることをようやく決意することができました。
その時期、どうしても足が出て払えなかった借金があり、彼女に肩代わりしてもらいなんとか生き延びることができました。
これがなかったら本当に自己破産を検討していたかもしれません。そのため今でも彼女には頭が上がりません。
何をしてもうまく行かない自分への自己嫌悪から無気力になる
ギリギリのところで破滅を免れたはいいものの、パチンコだけは相変わらずやめられていませんでした。
ただ、18歳の時、初めてパチンコに触れたときの感動や興奮は当の昔に消え去り、
大当たりが来ても、

確変に入っても

フリーズを引いても

こんな感じで常にネガティブで無気力な状態で全くパチンコを楽しめない状況に陥っていました。
私は、パチンコ(ギャンブル)依存症の大きな弊害の一つにこの「無気力状態」というものがあると考えています。
そして、日常生活においても、趣味として楽しめていたものや外出が億劫になり、死んだ目をしてパチンコ屋に行くことがくらいが唯一の外出になります。
なぜ、そんな無気力状態でもパチンコ屋には行けたのか?当時のことを思い出してみました。
パチンコ屋の喧騒がなぜか心を落ち着かせた
パチンコ屋はうるさい。
パチンコをしない方はよくそう言いますが、日常的にパチンコ屋に通うと、あの喧騒が心地よくなってきます。
隣の人と話すことも今のパチンコ屋ではほとんどないですし、一人で何も考えずにぼけーっとするには最高の場所でした。
1日中、同じ台を打ったりするとその台のセリフや音楽がリフレインして眠れないこともありましたが、嫌なことを忘れさせてくれました。
同じようなパチンカスがいることに安心した
私も同じようなものですが、パチンコ屋には人生終わってんなーというような風貌の人が多数存在します。
常連のおばさんには生活保護をもらいながらパチンコをしている人もいましたし、パチンコが原因で自己破産したのにまだパチンコをしているようなクズもいました。
借金を背負い、仕事もまともにできない自分でもここにいれば「まだまし」と感じられたことが少しだけ心の不安を取り除いてくれたのは事実です。
手段は悪くとも、社会とのつながりを感じられた
パチンコ屋では私は客です。
店員は敬語でしゃべるし、パチンコに行くために風呂に入ったり、服を着たりする。
そして、車に乗って移動をし、人のいる空間に行く。
それだけで、仕事以外にやることがある!というような感じがして、安心しました。今思うと良く分かりませんが…
パチンコ以外に趣味があればまた違ったのでしょうが、私にはそれしかなかったのです。
無気力期間を経て、うつになる
ネガティブでうじうじしたことしか言わないような人間としか関わりたくないと感じるようになってきました。
ネットでは借金や精神疾患に悩む方がいる掲示板やときには自○の掲示板も覗いてしまうようになり、精神的に一番参っていた時期でした。
こんな自分でも受け入れてくれるコミュニティを求めていたんです。
そんな日々が1年ほど続きました。
今思えば、ポジティブで前向きな発言ばかりしている人たちも、自分を奮い立たせるために言っていたのかもしれないな。と考えられるくらいにはなりました。
そして、無気力・うつ状態から復帰するきっかけが訪れます。
自分を取り戻すことができたきっかけ
あの時、アドバイスをしてくれた友人に久しぶりに会う
18歳の時、パチンコに熱中する私は窘めた友人に久しぶりに会う機会がありました。
その友人は仕事も成功し、結婚し子どもを作り、私とは真逆の人生を送っていました。私が憧れた人生です。
そして、当時と変わらぬエネルギッシュで魅力的な男でした。
当たり前のように昔の話になり、こう聞かれました。
こう聞かれた私は、

引き攣った顔でそう答えるのが精一杯でした。
恐らく、彼は気づいていたでしょう。私が経済的に非常に困窮していることに。
服はヨレヨレで、顔に覇気もない。
その日の食事の会計は何も言わずに彼がアメックスのカードでスマートに払ってくれました。
情けなくてその日は中々眠れませんでした。
このままだと自殺するか、引きこもりだ。カウンセリングを受ける
この時期の私は、家族にも友達にも彼女にもいろいろな嘘をついていて、どの自分が本当の自分なのかがわからなくなっていました。
心の中を吐き出せる場所がなく、苦しんでいたときにあるカウンセラーと出会いました。
これまでもカウンセリングは受け続けていましたが、事務的な会話で信頼ができず、本音を話すことができずにいました。
ですが、このカウンセラーにだけは自分のことを自然と話したくなるようなそんな心地よさがありました。
数回にわたり、私の現状や悩みを伝えたところ、
「あなたは責任感が強い方なんですね。もっと力を抜いてもいいんですよ」
ありがちなフレーズではあるんですが、少し胸がすっとしたような感覚がありました。
同じようなことは彼女や家族からも再三言われていたのですが、どうしても身内側の意見のため、受け入れることが難しい面がありました。
何の利害関係もない赤の他人から言われることでこんなにも胸に響いたのは不思議な感覚でした。
もしかしたらタイミング的に赤の他人ならば、誰だってよかったのかもしれませんが、それでも自分の全てをさらけ出せる相手がいると思うだけで頑張れるような気がしました。
また辛くなったら話を聞いてもらおう。そう思えるようになりました。
会社だって自分がいなくても何の問題もなく回っていくし、明日自分が死んだとしても世界は何も変わらない。
だったら、しょうもないことで悩まずに自分の好きなように生きていけばいいじゃないかと前向きに考えることができた一つのきっかけになりました。
私は仕事やプライベートでも無駄に完璧主義で能力以上のことをしようとして、できない自分に落ち込むような節がありました。
これはパチンコに置き換えてもそうなのですが、設定の良い台や回転率の良い台を探したり、止め打ちや目押しを駆使して損をしない打ち方を覚えて実践することが好きでした。
ですが、パチンコ・パチスロで負けが込むと、そんな「しなければいけないこと」ができなくなり、ギャンブルをしたい!という衝動が抑えきれなくなってしまい、無茶苦茶な打ち方をして、本来自分が求めていた理想とはかけ離れた結果になり、自己嫌悪に陥るというどうしようもないループにハマっていました。
このカウンセリングをきっかけに、本当の意味で「借金があり、パチンコをやめなければいけない」と理解したのかもしれません。
そして、「俺のしたいことはパチンコなんかじゃない。」と考えるに至ったのです。
失った時間は取り戻せないが、この先は変えられる。
そして現在、大切な20代をすべてパチに捧げてしまったこと、時間は有限だと気づき時々、本気で涙を流しています。
今現在、お若い方で毎日パチンコに行くような生活の方。できればパチンコをやめてください。必ず後悔する日がきます。
仮にパチンコと上手に付き合えるような人間だったとしてもです。
俺はそんな風にはならないと思っていても、どこで人生転落が始まるかは分かりません。危険を未然に防げるに越したことはありません。
私が脳死状態でパチンコを打っているときにも、頭の片隅ではぼんやり考えてはいました。
頭ではわかっていましたが、すぐに考えることをやめて楽な方に流れて生きてきました。
そんな弱い人間の心に、パチンコはするすると入り込んできます。
いま、自分にはやりたいこと、挑戦したいことがたくさんあったのだと気付かされています。
そして新しいことを始めようと頑張っていますが、パチンコで失った20代の輝かしい時間は2度と手に入りません。
何か始めようとしても、もう俺は年齢が年齢だからと落ち込んでしまう日もあり、パチンコばかりしてきた人生のつけを今くらっています。
この十年を取り戻すには通常の何倍も頑張らないといけません。
甘えてきたおじさんには辛い道程になるかもしれませんが、仮に失敗したとしてもいいんです。
- チャレンジした結果、諦める
- パチンコで時間を無駄にしながら、俺には無理だと諦める
この2者にはとてつもない大きな差があります。
パチンコなんてじじいになったらまたやればいいんです。ほんとにやることがなくて、どうしようもなく時間とお金を持て余してたときでいいんです。
そのときにパチンコがしたければ思う存分したいと思います。
未熟者つよし。而立にしてようやく危機感を抱きました。泣けてきます。もう無理だと挫けそうになります。
上を見たらキリがありません。
下を見たら安心してその場に留まってもいいと思ってしまうかもしれません。
でも、始めなければ始まりません。
挑戦して失敗してもいい。何か、行動をおこし、肌で感じることが重要なんです。
このブログはパチンコ依存症だった人間が借金完済を目指す中で、ギャンブルに壊された人生を取り戻す戦いを綴るブログです。
ただの借金返済ブログで終わるつもりはありません。同じような境遇の方に
少しでも響くようなものにしていければと考えています。
私もスロットやってたけど辞めれました。
パチンコ屋にいる時間がもったいないと思えたから辞めれたと思います。
今までやってたことを辞めるのは、簡単ではないと思いますが、頑張ってください!
何か偉そうに書きましたが、私は結局違うことで借金してパンクしちゃいました(笑)
はなきんさん
コメントありがとうございます!
アドバイスありがとうございます。本当に時間の無駄ということが一番の理由ですよね…私も一刻も早く辞められるように努力します。
いつもブログ拝見させていただいてます!お互い頑張りましょう。
禁パチできてるんですね。おめでとうございます!
元パチンカスの私の話を少しだけ。
現在60歳で、始まりは20歳でした。途中、何ヶ月間かの禁パチ→失敗リバウンドの繰り返し(長い時で3ヶ月禁欲できたこともあった)で、完全に依存症から離脱できたのは30歳でした。26歳まではサラ金にも手を出し自転車操業の正真正銘のカスでした。青春も彼女も学業も信頼もすべて棒にふりました。
そんな私が最終的に離脱できた一番の理由ですが、やはり貯金できたことでした。
依存症の中、リバウンドを繰り返しながらもなんとか29歳で100万(本来なら私の仕事がら5倍の500万の貯金も夢ではなかったはず)の貯金に成功し、知人のすすめで投資信託を買いまいした。配当金10万円(当時は現金で郵便局から貰え年利10%くらいの利回りだった)を手にしたときの新鮮な喜びは今でも忘れません。100万円がほっといても110万円まで増えた事実。金が金を生む事実、お金のある喜びと優越感と何よりも安心感。汚ならしいホールでヤニまみれのそれまでの人生が嘘のようでした。精神的にも肉体的にも、明確に依存症から離脱できた瞬間でした。
それまでの禁パチは心もとなかったんですよね。いつかまたリバウンドしちゃうんじゃないか・・少しだけもう一度やってみたいとか・・あの羽根の動き、もう一度見てみたいとか・・
完全にそういう気持ちが嘘のように引いた日でした。
本当の脱依存症はパチンコを我慢するんじゃなくて、魅力のなさを実感することにあるんでしょうね。実体のある金儲け(株、仕事、投資)に比べたらパチンコなど子供だましと感じることなんでしょう。
私は今でも生粋のギャンブラーです。しかもパあチンカスの時よりもっと貪欲です。でもパチンコとはベクトル(欲望の大きさも方向性も)がまったく異なるということでしょうね。
長々の自分語り、失礼しました。
ぽんたさん
先にこちらの記事にコメントをいただいていたのを見落としていてごめんなさい。。
そしてありがとうございます!禁パチ成功や投資のお話とても勉強になりました。
私は現在、ぽんたさんの半分くらいの年齢ですが、資産と呼べるものが何もなくてとても不安です。将来的にはパチンカスを卒業してあなたのようになれればいいなと足掻いている途中です。
パチンコに熱を上げて生きていくような人生を卒業して、仕事や投資など勉強しながら頑張っていきたいと思います!